そして異質なまま終わる

 本来ならばお盆、モラ夫のお父さんのお兄さんの家へ泊りに行くことになっていた。

結局1回しか行かなかったけど、はっきり言って最悪だ。

モラ夫の両親の家だって相当気を使うのに、お父さんのお兄さんて!

知らん人やん

知らん人の家やん

お父さんのお兄さんのご家族は大変いい方達だということはわかる。

田舎の素朴な人たち。

私達家族をもてなしてくださる。

なにもしなくていいと言ってくださる。

しかし、なにもしなくていいという言葉を真に受けてはいけないことも知っている。

モラ夫のいとこにあたる人の奥様と、モラ夫のお父さんのお兄さんの奥様が台所を仕切り、モラ夫のお母さんが手伝う。

そこをうろうろする絶望的に気の利かない私。

地獄絵図である。

そわそわと落ち着かない気持ちで、立ったり中腰になったり(モラ夫の母親の目があるので決して座れない)手を出してみたりひっこめたりしている。

役に立たなさ過ぎてもはや笑うしかない。

一晩たった次の日の朝、モラ夫のお母さんに呼び出されて説教だった。

前の晩、「次の日は何時に起きて、何を手伝えばよいか」聞かずに寝たことに大変ご立腹だった。

ああ、私の気の利かなさってこういうとこなんだな、と反省しつつ、時間が過ぎるのを待つ。モラ夫のお父さんのお兄さんの家を出たところで、モラ夫のご両親と大阪まで6時間、ドライブをしなければいけない。

時給だ。

時給が発生しておる。

私は感情を殺し、これは仕事だと言い聞かせ、やり過ごす。

正月もこんな感じだ。

舞台がお父さんのお兄さんの家から、モラ夫のご両親の家に変わるだけ。

そこで私は同じように、立ったり中腰になったり手を出したりひっこめたりする。

しかも5泊6日。

ながっ!

ガキの使いなんて当然見られない。

テレビからは時代劇が延々と流れる。

息子とガキの使いを見ながらケンタッキーを食べて、酒を飲んで、そばを食べた大みそかが懐かしかった。

私はもう一生、大みそかにガキの使いがみられないのか、と思うと涙を禁じ得ないが夫の退職金のことを思えば我慢できないこともない。

正月が終わったとたん、「次は盆かー」と気が重かったものだ。

モラ夫との生活を振り返ると、私の人生でとても異質だと感じる。

自分の人生の出来事ではない気がする。

しかし、異質なものも時が経てばだんだんと自分の人生に溶け込んでいくだろうと思っていた。

モラ夫がいなくなった今、異質な時期は異質なまま、私の記憶に残ることとなった。