8か月たって
夫が出て行って8か月がたった。
一見して私たち母子はつつがなく暮らしている。
今でこそ定期的に婚費が入りなんとか生活できているが、そういえば婚費がまともに入り始めたのってたった2か月前だ。
今年の2月に夫が出て行き、私は2月中にパートの仕事に就いた。
3月はお金がなくガスやら電気やらカードやらの支払いが滞って肝を冷やした。
生活費を要求しても「お前のせいでこうなった」「離婚はよ」みたいな返事しか返ってこなくて生活費を振り込んでくれるのかくれないのか分からない。
まったく埒が明かない。
辛抱強く交渉するしかなかった。
3月のうちに法テラスやDV相談センターへ相談したけど彼らは特に何かをしてくれるわけではなかった。
話を聞いてくれて、「それならば調停をたてるしかない」とアドバイスしてくれるだけだ。母子2人で十分に暮らしていける収入が得られる仕事を紹介してくれはしないし、私に代わって夫と交渉してくれるわけでもなかった。
当たり前だけど。
だからアドバイスに従って調停を立てた。
4月と5月の調停でも夫は相変わらず「お前のせいでこうなった」「離婚はよ」と九官鳥みたいに同じことばかり繰り返した。
5月の調停で婚費が決まったあと夫から「裁判を起こす」というメールがきた。
首を洗って待ってろ、ということらしい。
婚費は決まったが、夫は振り込んではこなかった。
予測はしていた。
夫は調停で「離婚する前提の場合のみ婚費を払う。離婚が前提でないなら払わない」と最後まで主張していたと聞いたからだ。
婚費が支払われないと、私は裁判所へ連絡して裁判所から夫に催促してもらうことになる。
裁判所を介してでも夫と話をするのはしんどい。
8月は婚費が期日通りに支払われほっとしたのもつかの間、夫から訴状が届いた。
私は離婚裁判の被告になった。
これからの生活のことを考えると不安で仕方なく、また息子が高校受験の年になにしてくれとんねん、というくやしい思いもあり涙が出てもおかしくない状況だったのだが、なぜか涙は出なかった。
そういえば私は夫のことで泣かなくなった。
パートに出たての頃は、ふとしたことで夫のことが思い出されて仕事中に泣くこともあった。
生活費請求のやり取りで心ない言葉を吐かれて泣いた。
法テラスで現状を説明することも涙が後を絶たず流れるのでやっとだったし、DV相談センターでも言葉より嗚咽の方が多かった。
電車の中でも、家でひとりのときでも暇があれば泣いていたような気がする。
食事は3食摂っていたがなかなか喉を通らなかったし、すぐにお腹がいっぱいになった。
花見には行かなかったし、ゴールデンウイークの記憶もない。
でも8か月たった今、夫のことを思い出しても泣かなくなった。
夫のことを弁護士に話すときも泣かなかった。
8か月たって、私は夫のことで泣かなくなった。
部屋をぐるりと見渡す。
息子がソファに寝転んで携帯電話で動画を見ている。
まるで夫なんかもともといなかったみたいだ。
夫が持ってきた家具がそこら中にあるのに、夫がここに住んでいたなんて今となっては信じられない。
本来の私たちの暮らしがここにはあった。
夫との生活は夢で私たちはずっと2人で暮らしてきた、というほうが、夫と結婚していた事実よりよほど真実らしく感じる。
たった8か月で夫との生活はなかったことになってしまった。