モラ夫が家出して休日を取り戻した
モラ夫が人格障害だと気付いてから、ずっと休日が苦痛だった。
祝日はいまいましいの一言だ。
朝起きて、朝食を用意して、一緒にテレビを見て、昼食を用意して、一緒に買い物に出かけて、夕食を作って、一緒にテレビを見て。
一連の作業のすべてが苦痛だった。
テレビだって、ただ見るだけならいいけど。
モラ夫の場合は文句を言いながら、ケチをつけながら見る。
ネガティブな発言は人を不快な気持ちにさせることをモラ夫は知らない。
休日の朝から、モラ夫はセックスする気満々だ。もちろん私はうんざりだ。
女は、好きな男としかセックスできない生き物だ。
私の人格を無視し、ときには蔑み、調子のよいときは盛大に甘えてくるモラ夫をもう好きではなかった。
もともとモラ夫の、自分勝手でなかなか終わらないしつこいセックスがあまり好きではなかったことも理由に含まれる。
しかし、私にセックスを拒む権利はない。
モラ夫の不機嫌に耐えられるなら拒んでもいいけどねって話だ。
だから仮病を使った。
腹が痛い、頭痛がする、膀胱炎だ、週末のたびに私は病気になった。
大概はムダな努力だったけど。
どうして人格障害者はあんなに性欲が強いのだろう。
まあ、依存体質なんだろうな。
セックスが苦痛だったことに加え、「夫婦たるもの休日は一緒に仲良く過ごすべし」みたいなモラ夫の考えに合わせるのも苦痛だった。
私はもともとひとりで過ごすのが好きだし、一日のうち何時間かはひとりの時間が欲しいと思っている。
ましてやモラ夫が人格障害だと気付いてからは、モラ夫の地雷を踏まぬよう一緒にいるときは細心の注意を払わなければいけなくなった。
しかしモラ夫はずっと私のそばを離れない。だから私に気の休まる暇がない。
モラ夫は私に対して「ひとりで出掛けるな」というわけではない。
私が出掛けようとすると「送っていく」「荷物を持ってやる」といって一緒に来たがるだけだ。
それを断るとモラ夫が不機嫌になるので、私が断れないだけだ。
出掛けた先では必ず手を繋がなければいけなかった。
何度も言うが、人格障害者であるモラ夫をもう、愛してはいなかったから手をつなぐことも苦痛だった。
「中年のカップルが人前で手をつないでいちゃいちゃするのは見苦しい」と手を放そうとすると「夫婦なんだから手をつなぐのは当たり前だ」と不機嫌になった。
なんだ、その当たり前って。お前だけの当たり前じゃん、なんて言えるわけなかった。
モラ夫の機嫌を損ねないためだけに過ごした休日。
モラ夫がでていった今、
好きな時間に起きられる!
好きな時間に適当なものが食べられる!
加齢臭がしない!
読書をしてもいいし、録画した番組を見てもいいし、見るのは何十回目かのSATCを見てもいい!
好きなだけ酒が飲める!
そして何より、
気を使わずにいちにち過ごせる!
私は久々に休日を取り戻した。
休日をとても有意義に過ごしている。
休日が待ち遠しくてしかたない。
そして私は思うのだ。確かに人格障害の夫と暮らすのは大変だけど、私も他人と一緒に暮らすのに向かない人間なのかもしれないと。