SATCごっこで現実逃避

弱ってるときに自然にとってしまう行動がある。
たとえば、クロマニヨンズの歌を聞くこと。
エイトビートの「ただ生きる 生きてやる」なんかが鉄板なんだけど。
今回はなぜか「レフュージア」。
なんでかわからないけど「婆さんになったマリリン・モンロー 焼酎でも飲みますか 日本海ほどの涙がこぼれて天国ブルース歌う」がツボだ。
あと「ゼロセン」。
純粋なものを求めているのかもしれない。
気がつくとクロマニヨンズが聞きたくて、「ああ、私弱っとる」と思う。

弱っているときに自然にとってしまう行動が他にもあって、それは「SATCごっこ」だ。
SATCごっこと書いたけれど特に何をするってわけでもなく、ただ単に私はキャリーで知人をビッグの設定にして妄想するのである。
さしずめ元夫(あっ。今も夫だった!)はアレクサンドル・ペトロフスキーか。
知人は二次元の人ではなく、実在する10年来の知人だ。
最初の結婚のときに知り合って、私が勝手に好きになって、そのうち彼とのことは関係なく私は離婚して、彼とは恋愛ごっこのようなことをして、振られて、必死で諦めて、元夫(だから今も夫だっていうのに)と知り合って結婚して、彼とは疎遠になり、私は元夫と別居することになって、疎遠になっていた彼と再び話をするようになった。

ね?ビッグとキャリーみたいでしょ?

いや、ちっともビッグとキャリーじゃないんだけどさ。
さーっとなれそめを書いたけど、実際はもっとえげつなかったりするんだけどさ。
わかってるからこそ妄想で美化するのである。

くっいたり離れたりを繰り返しているけど、結局ビッグとキャリーみたいに結ばれるんだよね?私たち!みたいに。
まだ離婚してないくせに。

実際に、再び話をするようになると懐かしさや細部まで説明しなくてもわかる感じが心地よい。
元夫は冗談のわからない人で、ボケたあとそのボケについて最初から説明する作業が必要だった。
彼にはそんなことしなくていい。
そういえば彼と疎遠にしている5年の間、なにかおもしろいことを見たり聞いたりしたら彼と共有したいと思ったり、彼に話したらどれだけ盛り上がるだろうと想像したことがあった。
元夫とはそういう感覚がまったく合わなかったからかもしれない。
彼の住む街へ行ったとき、彼と偶然会わないかと期待したことも何度かある。
疎遠にしていたし、彼のことはきっぱり諦めたけれどどこかで気にしていたことは確かだ。
3DSをお互いにくっつけて「小学生やないんやから」とか「もうお互いいい年やで」なんて言いながら通信したときは懐かしさに泣きそうになった。
以前に通信をしたのは、ドラクエⅨのときだから今から8年前のことである。
そのときも確か「小学生みたい」と笑いながら通信をした。

8年前に、私たちはどうして付き合わないのかと彼と話をしたことがあった。
彼は「あなたが飽きっぽいから。オレと付き合ったってどうせすぐ振るんでしょ」と言っていた。
本当はそうではなくて、ただ単に私に興味がないから適当にこじつけた言葉であったとしても、それは結構的を得ていると思う。
私たちがあのとき付き合ったとして、きっと私は彼に飽きていただろう。
その後別れていたら一生、今みたいに話すことはなかったと思う。

なんてことを感傷的に思い出し、ほらやっぱり私たちはビッグとキャリーって思い込むっていう妄想を繰り返している。


これ、一生続くのかなー。
彼と付き合わない限りずっと続くわな。
20年後なんてもうおばあちゃんだし。
ふつうに茶飲み友達になってるかもしれないな。
そうなったらいよいよ私たちが付き合うことはなくなるんやなー。

好きなんかなー。

 

たぶん弱ってるからだ。

離婚裁判で反論しなくてはいけないから弁護士に会って、同居していたときのことを細かく思い出したからだ。

よく我慢してたよなって。

よく我慢してたのに勝手に出てくってどうなの?って改めて思ったからだ。

彼のことはたぶん、好きじゃない。

またいつもの気まぐれだ。

 

これとほぼ同じ設定で私がブレアで彼がチャックの「ゴシップガールごっこ」バージョンもあり、SATCごっこが飽きたのでこちらに移行しつつあることを報告しておく。