6年前ぶりに彼と飲んだ話
彼のことを元カレと表現できたらいいのだが(私にとって)残念なことに彼は私の元カレではない。
贔屓目に見て私は、彼の元セフレだ。
イヤ、セフレですらなかったかもしれない。
彼と寝たのは1、2回、イヤ3回?まあいずれにせよそのくらいだったから。
彼に金銭をめぐんでいたわけでもないから、都合のいい女だったとも言いがたい。
とにかく私は彼が好きだったけれど少なくとも彼は私が思うほど私のことを好きではなくて、要は、フラれた。
彼にフラれてから5年間、私はシングルマザーとして働いて、禁煙をして、幸運なことに再婚した。
彼とは毎週のように顔を合わせたけど私から話をしなかったし、彼からも私に話しかけることはなかった。
私は再婚した夫が好きだったし、彼への気持ちは忘れてしまった。
夫が家を出ていって、話し相手が欲しくなった私は5年振りに彼に声をかけた。
さみしかったのかな?私
さみしかったんだろうな。うん。
夫が家を出てから、夫に生活費の催促をして、調停を起こして、ようやく生活費を確保した。
それまで、夫に対する怒りとか恨みとか、夫がすっかり変わってしまったことへの驚きや悲しみととまどい、生きていかれないんじゃないかという不安で私の心は騒がしかった。
調停が終わって一段落して、ほんのすこし心に余裕ができて、気がつくと私は猛烈に話し相手を欲していた。
できればくだらないことばかりしゃべりたい。
そんなことだから私は彼以外の人ともたくさんしゃべった。
人見知りの私としては珍しいことだ。
でも彼と話すのが一番楽しかった。
夏がくるころには5年前のことなんてすっかり忘れて、私は彼と打ち解けて話せるようになった。
またこうやって笑って話せることは喜ばしいことだ。
少なくとも夫と結婚していたら私は彼と再び話すことはなかったと思う。
時間があるときにだけ話して、笑って、それだけでよかったし、それ以上のことは望んでいなかった。
彼への気持ちがどうこうではなく、「いまさら」感が強かった。
いまさらプライベートで会ってどうするの?
いまさら私たちの間に建設的な何かを作り出すことは無意味なように思えた。
それに私を振った彼が、私と個人的に会いたいと思うとは思えない。
そんなことを思う時点でさっきの5年前のことなんてすっかり忘れたという記述がウソみたいに見えてくるのだけど。
夏の終わりに彼の勇姿を見に行って、それからなんとなく彼の様子が変わった。
夏から秋に変わるみたいに。
たぶん、彼も私と打ち解けて話せるようになったのだと思う。
私はだんだん彼のことを考えることが多くなった。
夫との生活を思い出して泣いたり、今後の生活のことを考えて泣いたりする時間が減ったぶん彼のことを考えていた。
何を考えていたのだろう。
今となってはよく思い出せないけれど、ただただ彼のことを「思っていた」。
秋になって彼から連絡がきた。
5年ぶりのライン。
彼からラインがきたとき、私はちょうど、本当にちょうど、彼のことを思っていたから驚いた。
すぐに既読にしてがっついてると思われたらイヤだから、読むのを我慢した。
なにかの勧誘だろうか?
なんか売りつけられる?
飲みに誘われたらどうしよう?
なんて私の心はシッチャカメッチャカで仕事も手に付かない。
結局30分くらい我慢するのが限界で、「30分経ったしがっついてると思われないよね?」と自分に謎の言い訳をしてラインを見た。
宗教の勧誘ではなかったし、何も売りつけられなかったし、飲みにも誘われていなかった。
他愛のないことでがっかりしなくはなかったけれど、でも私たちにとって、私にとってすごい進歩だった。
いつでも彼に連絡できるという安心感。
twitter感覚でつぶやくつもりだった。
そこには何の約束もないし、何の義務もない。何の気持ちもこもっていない。
私のためにも彼のためにも、個人的な連絡には気楽さが必要だと思った。
今のところ、私はこれで満足だった。
いつでもつぶやける個人的なツールができたこと。
一緒に飲みに行くのは、あと3年後、離婚裁判が終わって、息子が高校を卒業して一人暮らしをして、私がこの土地にいる必要がなくなって実家に帰るときでいい、なんて勝手に思っていた。
それから一度、彼から飲みに誘われた。
当日の夜に「今から飲みませんか」ってやつ。
本命の女には絶対言わないやつ。
都合のいい女にしか言わないやつだ。
お誘いは嬉しかったが、私はやっぱりまたセフレなんだと思うと寂しい気がした。
ちょうどそのとき私は家で仕事をしていたし、子どもにも何も言っていないし、準備もできないから断った。
準備?
心の準備だ。きっと。
今度こそきちんとセフレとして付き合う心の準備。
または友達として付き合うための心の準備。
決心がつかなかった。
楽しく話して飲めと言われれば飲めるし、割り切って関係を持つこともできる。
1回だけなら。
私は正解を求めた。
もう、私の人生から彼がいなくなるのはイヤだということ以外にはなにも答えが出なかった。
この答えが案外あっさり出てきたことに私は驚いた。
そうか。私、彼がいなくなるのがイヤなのか、と。
セフレになれないことはわかっている。
でも友達として接するにはあまりにも。
あまりにもなんだというのか?
そうこうしているうちに、ある日突然彼の態度がそっけなくなってしまった。
細く開けられて光さえ差していた扉がパタンと音を立てて閉じられてしまった。
理由はわからない。
彼の態度がそっけないと感じるのは私の自意識過剰かもしれないから、ラインで聞くこともためらわれた。
私の周りは急速に色を失った。
もともとなかった縁なのだ。なにをそんなに落ち込む必要がある?
自分に言い聞かせたけど、私は落ち込んだ。
1週間考えて、彼がそっけなくなったのは私が結婚していることを知ったからではないかと考えるようになった。
それなら現状を説明すればいい。
私が結婚しているのは誤解だし(誤解じゃないけど)彼のことだから話せばわかってくれると思った。
それから私は彼に連絡をするタイミングを見計らっていた。
だけど、タイミングがわからない。
それに、このまましばらく放っておいたらまた元に戻るかもしれない。
いまここで下手に連絡をしたら、またプツリと縁が切れてしまうかもしれない。
縁が切れてしまうのは怖い。
でも、縁が切れるのがこわいからってこのまま放っておいたところで、本当に元に戻るだろうか、元に戻るのは何年後だろう?
また何年も無駄に過ごす?
それはいけない。
そんなことをしていたら私は50歳になってしまう。
しかし最初の一歩が踏み出せなかった。
税金を差し押さえられて今月はどうやって暮らそうかとさんざん泣いたあと、ヤケくそになった私は彼に連絡をした。
ええーい、断るんだったら断りやがれ!どうせ飲みに行く金もないしな!って。
で、私の葛藤って何だったの?ってくらい彼はあっさり承諾してくれて、私たちは6年振りに飲むことになった。
あー、飲みに行った話ってタイトルなのに飲みにいくまでのことをこんなに書いてしまった。
たかが飲みに行くだけのことなのに、どんだけあいつのこと好きやねん。
ってわけで、飲みに行った話はまた後日に書きます。
キモくて金のないおっさんがウザい件
愚痴です。
腹たってるしすさんでるし多少の暴言は許してほしい。
スポーツジムでハゲのおっさんが私の周りウロウロして色目使ってきてウザい。
ハゲでイケメンでもないし、もうすぐ50だし、猫背で腹出てるし、金なさそうだし、ジョブホッパーで仕事転々としてネズミ講なうのおっさんと飲みにいく意味!
ないわー!考えろや。
金ないしどうせ割り勘とかいうんだろ?
ないわー!
若いかイケメンかマッチョかだったら割り勘でもいいけど!
なんだったら奢るけど!
ハゲのおっさんと割り勘はイヤ!
飲みに行こうっていうけど、飲みに行ってなんの話するの?
高卒のお前と一流大学卒の私でなに話そうと思ってるの?
絶対に私の方がかしこいしおもしろいし、ためになることいっぱい知ってるわ。
話しかけてほしそうにチラチラ私の方見ながらウロウロすんのとかマジで勘弁してほしい。
目に入るだけで不快だしキモいわ。
立場逆だったらどうよ?
キモくて金のないおばさんから物欲しそうにチラチラ見られたらどうよ?
ホラーだろ?
まったく同じだから。
人のこと考えろや!
飲みに行くなら年齢問わず自頭のいい人か話の合う人か見た目が好みの人がいいし、付き合うなら経済力が欲しいわ。
ネズミ講なうのおっさんが「周りにそろそろ再婚せえよって言われんねん」って寝言だよね?寝言なんだよね?
離婚して自分の子どもに二度と会えないって、よっぽどたち悪いことしなきゃないと思うけどお前一体何したの?
アル中?DV?借金?ロリコン?
マジでないわ。
って言いたいけど言ったら逆恨みとかするだろ?
だから適当に断ってんのに。
断ってんだから察しろよ。
頭悪いからムリか?
たまには女と楽しくしゃべって酒飲みてえとか、楽しく飲めたらあわよくば?とか、お前の欲求だけで誘うの迷惑だからマジでやめれ。
金ないんだからスポーツジムなんか行ってる場合じゃないし、女誘ってる場合じゃないし、ネズミ講やってる場合じゃないだろ。
ほんっっっっとないわー。
市役所と格闘家と私
戦っている人の姿がどうしても見たかった。
倒れても倒れても立ち上がる人を応援したかった。
夏の終わりの昼下がり。
露店と人でごった返す市役所前の広場を上から眺めた。
ブラスバンドの音が聞こえた。
本当にこんなところでやってるんかいな。
と思いながら階段を降りると、特設会場の上に立つ彼を見つけた。
本当にこんなところでやっている。
リングの上の彼は私に気付いたような気もするし、私の方を見ながら私のことに全く気付いていない気もした。
気付いてほしくない気もしたし、気付いてほしい気もした。
日曜日の昼に中年の女がひとり、プロレス観戦なんて恥ずかしい気がしたからだ。
隣に小学生くらいの男の子とお父さんが立っていたので、家族のようなふりをして並んでみていた。
炎天下、日傘もさせず1時間ほどの立ち見だった。
立っているだけなのに汗が止まらなく、背中や足に汗がつたった。
プロレスは思っていたよりずっと、おもしろかった。
彼の出番は最後だったから、最初は仕方なく見ていたがすぐに夢中になった。
最初は小競り合いで、それから場外でお客さんのそばで暴れて、最後に真剣勝負で決める、という筋書きがしっかりしていて、なるほどな、と感心した。
キャラクター設定もきちんとしている。
ただの格闘技と思っていたけど、かなりよくできたショーだった。
吉本新喜劇みたい。
彼以外の人の試合を見ていたとき、ふと遠くに彼の姿を見つけた。
彼もこちらを見ているように思えた。
手を振ってみようか、という気になったが手は振らなかった。
バカみたいに青い空をバックに彼の日に焼けた体がくっきりと浮かび上がっていた。
彼の姿がなくなるまで私はその様子を見ていた。
彼は、すっかりプロレスラーだった。
屋外だったから、アスファルトもリングも熱くて、地面に転がされるたびに「あつっ」と言っているのが、鶴太郎のおでんを連想させておもしろかった。
場外は私のすぐそばでやってくれて、
ああ、これが私のことが好きでやってくれていることだったらどんなにステキだろう、とありもしないシチュエーションに思いをはせた。
私は夢中で見ていて、それはもう、周りが見えないくらいだった。
だから知り合いが隣に立っていたときは大変驚いた。
彼は、ずっと隣にいたと言っていた。
私、なにかおかしなことを口走っていなかったかしら。
彼への気持ちがわかるような行動をとっていなかったかしら、と少しひやひやした。
知り合いの彼はそのことについては何も言っていなかったからたぶんセーフだ。
試合後、彼に話したいことがたくさんあった。
のどがカラカラだった。
おもしろいと思ったところ、気に入った選手のこと、アスファルトを転がった背中のこと、ビンタされた頬のこと。
たくさんあったけど、彼はたくさんの人に囲まれて忙しそうで近づけなかった。
ひとりで行くことに抵抗があったけれど思い切って行ってよかった。
がんばっている彼の姿は、きっと私の力になると思った。
恋とじょんのび
「ありゃさーありゃさ」
懐かしい音がした。
平日の昼。
いつもの駅。
懐かしい音に思わず振り返ると、「じょんのび」の旗。
一瞬で私の胸にさまざまな思いが駆け巡る。
「ありゃさーありゃさ」の掛け声で踊った幼い日の私、夜店で買った「お化粧セット」で肌を荒らした私の話を何度もする父、新しくなった実家、祖母の膝の上に座って笑っていた息子、1歳の息子に食べれもしないせんべいをあげて笑っていた祖母、息子を北枕で寝かせていたら鬼のように怒った祖母、記憶よりずっと小さい両親、セミの鳴かない砂浜。
実家に帰りたくて泣きたくなる。
私には両親に合わせる顔がない。
だって2回も結婚してその2回目の結婚がダメになって、心配をかけているから。
だから今年は帰らなかった。
帰れなかったのは私のせいだ。
息子には関係のないことだ。
ちょうどいい。
物産展で、栃尾揚げを買って、イタリアンを買って、自分のために地ビールを買って、里帰りした気になろう、と妙に気持ちが高ぶりもした。
混とんとしていた。
すぐに笑うこともできたし泣くこともできた。
ただいえることは、胸が押しつぶされそうになったということだ。
私ごときに扱える問題じゃない問題が私の身に降りかかっているということだ。
混とんとしたまま、私は立ち尽くした。
本当に、おかしなことだ。
「じょんのび」の旗につられて物産展をのぞくか、いつも通り物産展などなかったことにして改札をくぐるかすればよかった。
しばらくのうち、そのどちらもできなかった。
京橋の駅で立ち尽くす中年女なんていない。
少なくとも私は見たことがない。
しかたがないので、駅構内のカフェでアイスティーを飲んだ。
不思議なもので、アイスティーを飲んでいる間は、物産展のことは考えなかった。物産展に立ち寄るか立ち寄らないか、決心がつかずに選んだ行動だというのに。
結局、物産展には立ち寄った。
私の欲しいものが売っているか確かめたかったし、やはり、素通りすることはできないと思ったからだ。
物産展は、肩透かしだった。じょんのびの旗を掲げておいて地ビールのひとつもおいていないとはなにごとか?
じょんのびって地ビールじゃなかったかしら?
地ビールも、栃尾揚げも、イタリアンも、桃太郎アイスも、私の心惹かれるものはひとつもなかった。
ひどいものだった。
地元の人間がひどい、というのだから、そのラインナップたるや散々なものと思っていい。
物産展は期待外れのものだったが、私の混とんとした気持ちは収まらなかった。
実家に帰りたいけど帰れないと、誰かの胸に顔をうずめながら泣きたかった。
物産展があったんだけど、欲しいものがなかった。あいつら全然わかってない!と笑いながらディスりたいと思った。とにかく笑うか泣くかしたかったのだと思う。
ついでに、私が使う沿線の、電車が止まったときのみんなのつぶやきが好き、という話もしたいと思った。
そのついでのついでに、廃墟みたいだった〇〇市民病院が、市立〇〇病院に名前が変わって超キレイになっていてびっくりした話もしたいと思った。
話したい相手は、彼だった。
瞬時に。そしてたったひとり。
彼しか思いつかなかった。
彼のことは大好きだった。
だけど彼は私のことを好きではなかった。
それだけのことだ。
その後、私は彼のことを忘れて、それはちょっと大変な作業ではあったが、きちんと彼のことは忘れて、モラ夫と出会った。
彼には、なんだかバカにされていたような、安く見られていたような気がして彼に振られてから5年間、まったく話をしなくなった。
気持ちがなくなった以上、興味もなく、彼と話したいと思うことがなくなったということもある。
しかしモラ夫が出て行った今、なんとなく彼と5年前以前のように話をするようになった。
一緒にドラクエをしていて、「もういい年やねんから」なんて言い合っているとなんだか、いいなあ、という気持ちになる。
出会った頃はお互い20代やってんねえ、なんて言いながら「小学生か」とか言いながらDSで通信してる私達って、なんかステキやん、て思ってしまう。
彼に対する気持ちはなくなったままだけど、話し相手が欲しいとき、ふいに彼のことを思い出す。
私はプライドが高いのか意地っ張りなのか、親にさえ本音がなかなか言えなくて、今回のことだって母が本気で突っかかってくれたから泣けたけど、強がりしか言えない人間だ。
そんな私が泣いたのは、彼の前だけだったのにきづいた。
5年前とちっとも変わっていない自分に笑う。
気を抜くと、彼を好きだと思ってしまう、その思考回路に笑う。
きっと今から5年後も、今と同じことを思う瞬間があるのだろうと思うと笑う。
5年後も同じことを思っていたら、もはやこれは運命なんじゃないかと思うんだけど。
って5年後も思ってそうで笑う。
なにこれ?私は超飽きっぽいのに。
成就しないから飽きない。
なんだか私、一生彼に飽きない気がする。
彼にはその気がないと書いたのに。
まるで「じょんのび」の旗を見たときのように混とんとしている。
その日は結局、彼と話さなかった。
彼と話す機会はあったけど、なんだか声をかけるのがためらわれたのだ。
私ったらなんでためらうのかね?
モラ夫が家出して休日を取り戻した
モラ夫が人格障害だと気付いてから、ずっと休日が苦痛だった。
祝日はいまいましいの一言だ。
朝起きて、朝食を用意して、一緒にテレビを見て、昼食を用意して、一緒に買い物に出かけて、夕食を作って、一緒にテレビを見て。
一連の作業のすべてが苦痛だった。
テレビだって、ただ見るだけならいいけど。
モラ夫の場合は文句を言いながら、ケチをつけながら見る。
ネガティブな発言は人を不快な気持ちにさせることをモラ夫は知らない。
休日の朝から、モラ夫はセックスする気満々だ。もちろん私はうんざりだ。
女は、好きな男としかセックスできない生き物だ。
私の人格を無視し、ときには蔑み、調子のよいときは盛大に甘えてくるモラ夫をもう好きではなかった。
もともとモラ夫の、自分勝手でなかなか終わらないしつこいセックスがあまり好きではなかったことも理由に含まれる。
しかし、私にセックスを拒む権利はない。
モラ夫の不機嫌に耐えられるなら拒んでもいいけどねって話だ。
だから仮病を使った。
腹が痛い、頭痛がする、膀胱炎だ、週末のたびに私は病気になった。
大概はムダな努力だったけど。
どうして人格障害者はあんなに性欲が強いのだろう。
まあ、依存体質なんだろうな。
セックスが苦痛だったことに加え、「夫婦たるもの休日は一緒に仲良く過ごすべし」みたいなモラ夫の考えに合わせるのも苦痛だった。
私はもともとひとりで過ごすのが好きだし、一日のうち何時間かはひとりの時間が欲しいと思っている。
ましてやモラ夫が人格障害だと気付いてからは、モラ夫の地雷を踏まぬよう一緒にいるときは細心の注意を払わなければいけなくなった。
しかしモラ夫はずっと私のそばを離れない。だから私に気の休まる暇がない。
モラ夫は私に対して「ひとりで出掛けるな」というわけではない。
私が出掛けようとすると「送っていく」「荷物を持ってやる」といって一緒に来たがるだけだ。
それを断るとモラ夫が不機嫌になるので、私が断れないだけだ。
出掛けた先では必ず手を繋がなければいけなかった。
何度も言うが、人格障害者であるモラ夫をもう、愛してはいなかったから手をつなぐことも苦痛だった。
「中年のカップルが人前で手をつないでいちゃいちゃするのは見苦しい」と手を放そうとすると「夫婦なんだから手をつなぐのは当たり前だ」と不機嫌になった。
なんだ、その当たり前って。お前だけの当たり前じゃん、なんて言えるわけなかった。
モラ夫の機嫌を損ねないためだけに過ごした休日。
モラ夫がでていった今、
好きな時間に起きられる!
好きな時間に適当なものが食べられる!
加齢臭がしない!
読書をしてもいいし、録画した番組を見てもいいし、見るのは何十回目かのSATCを見てもいい!
好きなだけ酒が飲める!
そして何より、
気を使わずにいちにち過ごせる!
私は久々に休日を取り戻した。
休日をとても有意義に過ごしている。
休日が待ち遠しくてしかたない。
そして私は思うのだ。確かに人格障害の夫と暮らすのは大変だけど、私も他人と一緒に暮らすのに向かない人間なのかもしれないと。
そして異質なまま終わる
本来ならばお盆、モラ夫のお父さんのお兄さんの家へ泊りに行くことになっていた。
結局1回しか行かなかったけど、はっきり言って最悪だ。
モラ夫の両親の家だって相当気を使うのに、お父さんのお兄さんて!
知らん人やん
知らん人の家やん
お父さんのお兄さんのご家族は大変いい方達だということはわかる。
田舎の素朴な人たち。
私達家族をもてなしてくださる。
なにもしなくていいと言ってくださる。
しかし、なにもしなくていいという言葉を真に受けてはいけないことも知っている。
モラ夫のいとこにあたる人の奥様と、モラ夫のお父さんのお兄さんの奥様が台所を仕切り、モラ夫のお母さんが手伝う。
そこをうろうろする絶望的に気の利かない私。
地獄絵図である。
そわそわと落ち着かない気持ちで、立ったり中腰になったり(モラ夫の母親の目があるので決して座れない)手を出してみたりひっこめたりしている。
役に立たなさ過ぎてもはや笑うしかない。
一晩たった次の日の朝、モラ夫のお母さんに呼び出されて説教だった。
前の晩、「次の日は何時に起きて、何を手伝えばよいか」聞かずに寝たことに大変ご立腹だった。
ああ、私の気の利かなさってこういうとこなんだな、と反省しつつ、時間が過ぎるのを待つ。モラ夫のお父さんのお兄さんの家を出たところで、モラ夫のご両親と大阪まで6時間、ドライブをしなければいけない。
時給だ。
時給が発生しておる。
私は感情を殺し、これは仕事だと言い聞かせ、やり過ごす。
正月もこんな感じだ。
舞台がお父さんのお兄さんの家から、モラ夫のご両親の家に変わるだけ。
そこで私は同じように、立ったり中腰になったり手を出したりひっこめたりする。
しかも5泊6日。
ながっ!
ガキの使いなんて当然見られない。
テレビからは時代劇が延々と流れる。
息子とガキの使いを見ながらケンタッキーを食べて、酒を飲んで、そばを食べた大みそかが懐かしかった。
私はもう一生、大みそかにガキの使いがみられないのか、と思うと涙を禁じ得ないが夫の退職金のことを思えば我慢できないこともない。
正月が終わったとたん、「次は盆かー」と気が重かったものだ。
モラ夫との生活を振り返ると、私の人生でとても異質だと感じる。
自分の人生の出来事ではない気がする。
しかし、異質なものも時が経てばだんだんと自分の人生に溶け込んでいくだろうと思っていた。
モラ夫がいなくなった今、異質な時期は異質なまま、私の記憶に残ることとなった。
8か月たって
夫が出て行って8か月がたった。
一見して私たち母子はつつがなく暮らしている。
今でこそ定期的に婚費が入りなんとか生活できているが、そういえば婚費がまともに入り始めたのってたった2か月前だ。
今年の2月に夫が出て行き、私は2月中にパートの仕事に就いた。
3月はお金がなくガスやら電気やらカードやらの支払いが滞って肝を冷やした。
生活費を要求しても「お前のせいでこうなった」「離婚はよ」みたいな返事しか返ってこなくて生活費を振り込んでくれるのかくれないのか分からない。
まったく埒が明かない。
辛抱強く交渉するしかなかった。
3月のうちに法テラスやDV相談センターへ相談したけど彼らは特に何かをしてくれるわけではなかった。
話を聞いてくれて、「それならば調停をたてるしかない」とアドバイスしてくれるだけだ。母子2人で十分に暮らしていける収入が得られる仕事を紹介してくれはしないし、私に代わって夫と交渉してくれるわけでもなかった。
当たり前だけど。
だからアドバイスに従って調停を立てた。
4月と5月の調停でも夫は相変わらず「お前のせいでこうなった」「離婚はよ」と九官鳥みたいに同じことばかり繰り返した。
5月の調停で婚費が決まったあと夫から「裁判を起こす」というメールがきた。
首を洗って待ってろ、ということらしい。
婚費は決まったが、夫は振り込んではこなかった。
予測はしていた。
夫は調停で「離婚する前提の場合のみ婚費を払う。離婚が前提でないなら払わない」と最後まで主張していたと聞いたからだ。
婚費が支払われないと、私は裁判所へ連絡して裁判所から夫に催促してもらうことになる。
裁判所を介してでも夫と話をするのはしんどい。
8月は婚費が期日通りに支払われほっとしたのもつかの間、夫から訴状が届いた。
私は離婚裁判の被告になった。
これからの生活のことを考えると不安で仕方なく、また息子が高校受験の年になにしてくれとんねん、というくやしい思いもあり涙が出てもおかしくない状況だったのだが、なぜか涙は出なかった。
そういえば私は夫のことで泣かなくなった。
パートに出たての頃は、ふとしたことで夫のことが思い出されて仕事中に泣くこともあった。
生活費請求のやり取りで心ない言葉を吐かれて泣いた。
法テラスで現状を説明することも涙が後を絶たず流れるのでやっとだったし、DV相談センターでも言葉より嗚咽の方が多かった。
電車の中でも、家でひとりのときでも暇があれば泣いていたような気がする。
食事は3食摂っていたがなかなか喉を通らなかったし、すぐにお腹がいっぱいになった。
花見には行かなかったし、ゴールデンウイークの記憶もない。
でも8か月たった今、夫のことを思い出しても泣かなくなった。
夫のことを弁護士に話すときも泣かなかった。
8か月たって、私は夫のことで泣かなくなった。
部屋をぐるりと見渡す。
息子がソファに寝転んで携帯電話で動画を見ている。
まるで夫なんかもともといなかったみたいだ。
夫が持ってきた家具がそこら中にあるのに、夫がここに住んでいたなんて今となっては信じられない。
本来の私たちの暮らしがここにはあった。
夫との生活は夢で私たちはずっと2人で暮らしてきた、というほうが、夫と結婚していた事実よりよほど真実らしく感じる。
たった8か月で夫との生活はなかったことになってしまった。